不登校Q & A

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  1. 親はどうすればいいの?
  2. 学校とどうつきあう?
  3. 医療が必要なの?
  4. 将来はどうなるの?
親はどうすればいいの?

「学校では、友だちと仲良く過ごし元気ですよ」と、先生は言います。それでも子どもは学校から帰って来ると疲れてグッタリしています。次の日は休むことになります。不登校を経験したA君は、数年後、当時を振り返って、次のように言っていました。「学校の姿は自分の本当の姿ではなかった。元気に見せていただけ」。
夜寝る前は「明日は学校へ行くよ」と親に約束したりします。しかし朝になると、登校できないことがよくあります。約束しても体と心が動けないのです。学校に行ったり行かなかったりしている状態は、子どもが「学校は休んではいけない所だ」と思って、自分の辛さを押し殺している状態だと言えます。とても毎日登校し続けるエネルギーがありません。「これ以上無理して登校し続けると、体や心が壊れてしまう」と体が感じて、自分を守っているのです。
「甘やかしたら、休み癖が付く」「苦しくても頑張らせよう」。周りの大人や親はこう考えたり、言ったりします。しかし子どもは、すでに疲れていて、頑張れない状態です。休みながらでないと学校へ行けないのです。疲れたら休むことが大切です。休むことを親が認めてあげることが子どもを支えることになります。しっかり休んだら、子どもは自分のペースを見つけ出すことができます。「『あしたは学校へいくよ』と言う子どものキモチ」をどう捉えていけばいいかを考えることが、親のできることのスタートです。


よく聞くお話ですね。学校へ登校する時間帯になると、激しい嘔吐・腹痛・下痢を繰り返し、「休んでいいよ」と言うと激しい消化管症状が治まるを繰り返す。医師の診察を受けても、各種検査の結果、「全く異常はありません」と言われることが多いようです。病名を付けられるとすると、神経科では「不安神経症」、小児科では「自律神経失調症」「起立性神経障害」と言うようなものが多いのでしょうか。
まず、最初に言えるのは「仮病ではありません」ということです。不登校で苦しむ子どもの身体症状は実際に苦しいものであり、仮病で装えるようなものではありません。でも、親の側が不登校を受け入れるようになると、自然にこうした症状は治まってしまうようです。いわば、学校起因による消化管症状とでも言えばよいのでしょうか。現在、医学的にこうした症状について解明されてはいません。多くの医師に聞いても原因は不明と言われました。
あくまでも仮説ですが、ある医師がこんな話をしてくれました。「おそらく自律神経が学校へ行くことを阻止しようと働いているのでしょう」。自律神経はストレスに反応し、胃に穴を開ける胃潰瘍を引き起こす神経です。この場合も同様な作用を引き起こしているとしか考えられないというものですが、とても納得できる話ではないでしょうか?


子ども本人の気持ちが落ち着くまでの時間は、状況によってさまざまですから、子ども本人が学校にずっと行きたくない・行けない場合もあるかもしれません。ですが、子どもが無理をして通っていた学校を“休む”ことは、これまでの苦しさや疲れを癒すために必要な、大切な時間です。また、“休む”と一口に言っても、子どもは「学校に行かなくちゃ……」「自分はこのままでよいのか……」など、辛い気持ちや葛藤を抱えながら、自宅で過ごしていることが多いのです。そんな中で、親の「子どもがずっと休んでいる。いったいいつまで休むのだろう?」という気持ちが続くと、子どもは学校復帰へのプレッシャーを感じ、ゆっくりと休むことができません。家でも心が休まらず、追い詰められたような感覚も生まれるかもしれません。親も子どもも、「このまま休んでいてよいのだろうか」という不安を抱え続けるのではなく、一度、苦しい対象からとことん離れる(休む)ことで気持ちが落ち着き、そうすることで見えてくる選択肢がある、という捉え方もあります。
大切なことは、子どもが無理をしないでいられる環境を作ることや、子どもの感じる苦しさなどが少しでもやわらぐことではないでしょうか。そのためにも、子どもがゆっくり休めることを大切にしてください。


今の自分(不登校の状態)を受け止めることができたとき、そこが出発点です。不登校になっても我が子は我が子、大切な命、大切な子ども。今のあなたが大好きだよ。あなたの存在そのものが大好だよ。そんなメッセージを送ることができたら……。我が子が不登校で悩んでいる時に、「私が不登校でも、お父さんお母さんは、そんなダメな自分(けっしてダメではありませんが、本人はそう思っています)を受け止めてくれる。不登校でもいいんだ」それを実感した時に、その子は動き始めます。無理して勉強させても逆効果です。
「学びたい」と思ったとき、素敵な輝きを放ちながら躍動し始めます。遅すぎることなんてありません。あの萩本欽一さんは70歳を超えて大学に入学しました。ある有名なアイドルの男性はほとんど学校に行けなかったためか、かけ算九九は得意ではありません。しかし、韓国語はペラペラです。「自分は小学校から高校まで学校に全然行ってません」と話しながらも「アインシュタインの相対性理論について、今ここで話しなさいと言われれば話すことができます」と語ってくれた男の子も知っています。
「学び」は自主的、主体的なものであり、他者から強制されても真の学びにはなりません。我が子が「学びたい」と思うまで信じて待ってみませんか。それともう一つ、「学び」にとって大切なのは机の上の学びではありません。人として、主権者として、仲間と素敵に生きるために必要なのが「学び」です。我が子を信じて見守る。これが私たちにできることではないでしょうか。


学校へ行かなくなると、夜遅い時間(明け方)に寝て昼ごろ(夕方)に起きる昼夜逆転になることがよくあります。このような状態が続くと「このままでは朝起きて夜に眠る通常の暮らしに戻れなくなるのでは? 学校や社会に出ていく時に困るのでは?」と周囲は心配になりますよね。一方お子さんたちの話を聞いてみると、「多くの人々が活動する日中に起きているのは何もしていない(学校は行かれない)自分にとって、辛く責められているようだ」「夜は皆が寝静まって自分ひとりやりたいことに集中できるし、なんとかやり過ごせる」「親や世間からの圧力が少なく感じて落ち着ける」などと言います。学校で傷つき、疲れきって心も身体もボロボロになっている彼らはそうせざるを得ないのだ、と想像すると、その子にとって昼夜逆転が大切な過程だとわかるはずです。
不思議なもので、どの子もそうなんですが、彼ら自身が「行きたい!」と本当に思った時には、朝起きて夜に寝る生活に転じていくので心配ありません。また、夜起きていても昼に眠れていれば睡眠時間は足りていますから、その子の眠りのペースを大切に安心して、夜中起きていられる生活を保障してあげてほしいと思います。ある子は「親が『昼夜逆転なんてたいしたことないよ!』と言ってくれたから、信頼されているようでうれしかった」「夜の静けさが僕を解放してくれた。自分と向き合ったり、考えを深めたりするのに必要だった」と教えてくれました。
せっかくこうやって自分の苦しさを訴えかけてくれているのですから、昼夜逆転という経験を通じてその子が納得のいく人生を歩めるよう、親は教育的な発想から離れましょう。親自身が自分の生活を楽しむようになると、慣れて気にならなくなりますよ。


子どもが学校に通わなくなると生活は激変します。大半の時間を家で過ごすようになり、それこそ四六時中ゲームをして過ごすこともあります。保護者の方にとっては日々を無為に過ごしているように見えるでしょう。とくに、学校に通っていた頃や、学校に通っている他の子どもと比べてしまい、心配になることもあると思います。しかし、そのことは子ども自身が一番強く感じていて苦しんでいますし、身近な人の心配を感じ取れば、もう一度苦しむことになります。
子どもにとっても保護者にとっても先の見えない苦しみです。この時、子どもを責めてはいけません。不登校の子どもにとって学校は安心できる居場所ではありませんでした。「せめて家が安心できる居場所であってほしい」と、子どもは思います。学校に通わないこと、ゲームばかりしていることを責められると、またひとつ安心できる居場所を失います。保護者の方は戸惑い、心配すると思いますが、どうか静かに見守ってあげてください。そうしているうちに、子どもの心は少しずつ変化します。
最初は逃避だったかもしれません。焦りや自己否定を強くしてしまうこともあるでしょう。そんな葛藤の中で、自分と向き合い、自分の状態を受容していきます。無為に見える日々は傷ついた心と向き合い、また、自分が今いる状況を整理するための大切な行程なのです。


親に「どうして学校に行けないの?」と聞かれても、明確に答えられる子は少ないでしょう。子どもは登校できない辛さでいっぱいです。学校を拒絶してしまう自分を理解できず、説明もできない。説明しても分かってもらえない。どんなに小さくても子どももプライド(尊厳)を持っています。理由がなんとなくわかっていても、親に話しても分かってくれそうもないし、「そんな事で」と反対に叱られそう、と思ってしまいます。
先生や友人に話しても分かってもらえそうもない。家の中でも段々孤立してしまいがちになります。五月雨(さみだれ)登校と言って、親に促されると時々登校してみたりする子もいます。本人の必死の努力なのですが、無理をして登校しても長く続きません。自分を奮い立たせても登校できなくなります。親はついつい本人に問い詰めたり、病院に連れて行ったりしてしまいがちですが、それで登校できるようになることはほとんどありません。
学校に行けなくなる原因はさまざまで、いじめや担任の先生の言動などはっきりしている場合もありますが、いくつかの理由が重なり合っていたり、学校というシステム自体にどうしても合わせられないなど、本人にもはっきりわからなかったり、言葉で説明できない場合の方が多いのです。しかも、それを突き止めても、すぐに解決できる種類のものでない場合がほとんどです。
何年も経ってから「実はこうだったんだ」と話してくれることもあります。また、最後まで理由は話してくれなかったけど、今は元気に働いているという若者もいます。原因探しは実はあまり意味のないことかもしれません。それよりも「理由は説明できないけど、とにかく今はつらいんだね」と、気持ちを受け止めてあげられることのほうが大切だと思います。


不登校になっていても今まで通り変わらずにお友だちと遊ぶ子もいますが、逆に一歩も外に出ず、家で静かに一人でゲームなどをして過ごす子もいます。一人でいる子どもを見ている方は、「本当は友だちと遊びたいのではないか?」と心配になってしまうかも知れません。でも、一見寂しそうに見えても、実はその子自身は家の中で一人ゆっくりしたいのかもしれません。
子どもは一人ひとり、性格も好きな遊びも違います。集団で遊ぶのが楽しく感じる子、一人で黙々と好きなことに没頭して満足感を得る子。ずっと友達の言いなりになりながらも、遊び相手として仕方なく付き合ってきた子が、不登校になりやっと自分だけの好きな時間を過ごせるようになったという場合もあります。周囲の人から見れば、お天気の良い日にも子どもが家にいて友達とも会わないで過ごすと、今の社会から取り残されてしまったかのように思え、社会にうまく溶け込めないのではないか?と心配になるかもしれません。
しかし、実は家庭とは社会の中における一番小さい単位の集団でもあり、立派に社会と同じ機能を果たしているとも言えるのです。家庭内で、家族がお互いを思いやり、その存在を認め合い、みんなが心休まる温かい雰囲気の家庭であることは、まさに社会人に必要とされている要素と言えます。家庭内で家族が暮らすために大切にされていることは、社会の中で人と人がうまくやっていくために大切な事と何ら変わりはありません。お互いの存在を認めあう家族同士の強い信頼関係が、子どもが今後の人生を生きるための、何よりも大きな支えとなるのではないでしょうか。本人が、安心して過ごす環境が家庭内で確実に守られていることが、まずは友達と交流することよりも重要なことではないでしょうか?


子どもの父親や祖父母などが、わが子、わが孫を愛するがゆえ戸惑い、心配になり、自分がつらい気持ちを母親にぶつけてしまうことがあります。期待が大きすぎるのかもしれません。子どもが学校に行かなくなると親自身も不安がいっぱいで、子どもを支えることが必要なのに、家族や周りの人に責められるのは本当につらいものです。多くの親は「自分の育て方に問題があったのかもしれない」と自分を責めます。
でもそんなことはないのです。母親が甘やかすから不登校になるのではありません。学校に行くのがつらい子は、生きるため、自分の尊厳を守るために学校と距離をとります。「学校に行かないのは決して怠けているのではない。今は子どもの気持ちを大事にしたい」と話しあってみてください。不登校に関する講演会などに誘ってみるのもよいかもしれません。
それでも責められたら、もうこの人は変わらないと割り切った方がいいかもしれません。もし他の家族にわかってもらえなくても、子どもには「私はあなたの味方よ」と伝えましょう。一人でも味方がいれば大丈夫です。そして、孤立をしないためにも、親の会などに参加して同じ思いをもつ人と話をすることをお勧めします。親が落ち着いてくると子どもは元気になります。


行きたくないと言うのを無理に行かせることはないと思います。親戚の集まりって、大人でも憂鬱なことありますよね。とくに、学校に行っていないことを親や自分自身が認められていない時に、親戚という近しい存在に言われた言葉に深く傷ついてしまうこともあります。理解ある親戚ならば、学校に行っていないことなどに触れないでその子自身を受け入れてくれるでしょうが、大抵は、「どうして学校に行かないの?」「毎日家で何してるの?」など返答に困ることや、「親に心配かけちゃダメだよ」「頑張れ」などお節介なことを言われて、気まずい思いをすることが多いと思います。
また、学校に行っていないことを親が親戚に話していない場合は、部活や成績、進学の話を聞かれても困ってしまいますよね。世間体や親戚との距離ができてしまうことが心配かもしれませんが、今は子どもが不安を感じているようなら無理をさせず、状況が変わったり気持ちの整理が付いたりするまで行かなくてもいいと思います。たとえばお墓参りなど、静かに人の目を気にせず出来ることから親戚とのつながりを感じていければいいと思います。


ずっと子どもが家にいると心配になりますよね。でも、子どものためにと何かをするとき、それが本当の意味でその子自身の気持ちに寄り添っていることになっているでしょうか? どんなにこちらから訴えても、子ども本人にその気がなければ無理強いになりがちで、子どもにとってはなかなか辛いものです。また、不服なことをやらされて辛い思いをすると、親のせいだと八つ当たりしがちになったり……。そんなお互いに辛い思いをするのはイヤだな~と思います。
だから、できれば今の子どもを認めて、本人がどうしたいかを尊重し、ゆっくりと見守り寄り添ってもらえると嬉しいです。健康面では、本人が家で安心してゆっくり過ごせるだけで充分だと思います。家で安心して休めることで、子どもは心と体の健康を取り戻していきます。そうやって元気が回復してくると、家の中だけでは物足りなくなって、自然と自分から動き始めます。ただ、子どもが動き始めた時に親があまり期待を表に出しすぎると親の期待も背負ってプレッシャーになりがちなので、「へ~、ああそうなの?」くらいの反応をして、心の中で思い切りガッツポーズをしてください。
また、日光浴などですが、不登校の子は 昼日中に外に出ると出会いたくない同級生、他の子が学校に行っている時間帯だと大人の目線が、学校に行っていない自分の負い目と重なって、より辛く感じたりします。だからほとんどの人が、家で過ごしている夜の方が元気だったりします。 家が今の子どもを認めてくれる居場所、生きていい場所であると幸いです。


学校に行っていたころは、だいたいのご家庭でお小遣いをあげていたことでしょう。しかし、不登校になり家にいることが多くなると、近くのコンビニや本屋さんなどに出かけることを嫌がるようになります。それは「学校の友だち、友だちの親、近所の人に会ったらどうしよう」「『学校はどうしたの?』などと言われはしないか」と心配して、ほとんど外出できなくなるからです。幼稚園や保育園、学校や社会、時にはご家庭から受けるプレッシャーのせいで「休むことはいけないこと」と感じていますから、休んでいる自分を肯定できないのです。学校に行っていないことで、社会から目に見えない否定的な視線を感じ、とても肩身の狭い思いをしています。それは家庭でも同じです。
学校に行けない自分のために、親が辛い顔をしているのを見ていますので、申し訳ない気持ちでいっぱいです。そのため、学校行っていないのに、お小遣いをもらうことを遠慮してしまいます。でも少し元気になると、動き出します。動けるようになると買いに行きたい物が出てきたりしますが、まだ学校には行っていませんから、「お小遣い下さい」とはなかなか言えません。お小遣いの額も含め、本人と話し合って、すぐに使わなくても渡しておくか、あるいは「今はいらないかもしれないけれど、預かって預金しておくけどいいかしら? 必要な時にいつでも言ってね」と言ってもらったら、本人はとっても安心します。自分が自由に使えるお金があることは、大人でも心強いのではないでしょうか。


子どもは夜になると「明日は学校に行く」と言います。でも、朝になると布団から、部屋から出てきません。「学校に行きたいのに、お腹や頭が痛くて行けない」と言うこともあります。でも親が学校に欠席の連絡をすると、ケロッとしてテレビを見たり、ゲームをして楽しそうにしていたりします。親はさっきまでの苦しそうな様子を見ているので戸惑います。もしかして仮病ではないかと疑ってしまいます。しかしそれは、決して仮病などではないのです。親は子どもが急に登校しなくなったり、朝起きられなくなったりすると驚きます。でも、子どもはずっと以前から傷つき、苦しんでいたのです。
夜には本当に学校に行こうと思っているのです。決して嘘をついているのではありません。でも、実際には「行けない」のです。子どもの心と体は一致せず、余計に苦しむことになります。親は「本人のほうから『明日は行く』と言っているのだから」と期待をしてしまいます。そして、朝になって子どもが学校に行けないとわかると、「嘘をつかれた」と思って腹が立ちます。「昨夜は『行く』って言ったじゃないの!」と、子どもを責めてしまったりもしますよね。でも、親のそうした期待が子どもを二重に苦しめることにもなります。せめて親は学校の側に立たず、子どもの味方になってあげてほしいのです。朝になっても起きてこないときは、どうかそっとしておいてあげてください。行けないで一番がっかりして、苦しんでいるのは子ども本人なのですから。


子どもが学校に行き渋り始めると、「いつか学校に行けなくなるのでは……?」「どうしたら行けるようになるかしら?」「いろいろな体や心の症状は本当の病気ではないだろうか?」など、さまざまなことを親は心配し、学校や病院などに相談し、何とか解決したいと右往左往します。そして、とうとう全く学校に行けなくなるころには、親も子も心身ともにすっかり疲れ切ってしまいます。親もしんどいですが、でも一番辛いのは子ども本人です。学校に行けない自分を肯定されない苦い経験を、学校や家庭や社会から矢のように浴びせられて、いま息をするのも精一杯なのです。そのうえ、親の辛さを背負わせては、子どもにとって二重の苦しみです。せめて親のしんどさを本人に背負わないためには、親は何をしたらよいでしょうか?
親が辛い、しんどいのは「子どもを早く楽にしてあげたい」「家庭内の居心地が悪いのを何とかしたい」「兄弟仲をよくしたい」「学校から近所から社会から、ダメな親、子育てに失敗した親と思われる」などを考えて焦ってしまうけれど、誰にも話せないし、理解してもらえない気持ちを抱えているからです。
身近に親の辛さを話せる人がいるとよいのですが、いくら親しい友人でも同じ経験をしていないと気持ちをわかってもらうことはなかなか難しいです。誰にも気持ちを話せないときには「各地の不登校の親の会」を訪問してみて下さい。不登校の子を持っていた親たちや経験者の青年やNPOが運営しているさまざまな会があります。ご自分に合った会を見つけて下さい。親の心がゆったり、ほっこりする気持ちになれたら、きっと親のその雰囲気が子どもに伝わります。親の会では、半年、一年と経ち、気がつくと親も子も楽に会話ができるようになっているという話を聞かせてもらうことが多いです。

学校とどうつきあう?

不登校をするとよく「学校に行くのは義務だ」などと言われることがあります。子どもには学校に通う義務があるのに不登校をするのはその義務に反している、ということのようですが、これは「義務教育」を根本的に誤解している人の考えです。日本国憲法を見てみましょう。第26条の1項と2項には教育への権利と義務が書かれています。

日本国憲法(条文抜粋)
第26条1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。

すべての子どもには教育を受ける権利があります。しかし、ただ権利があると言われてもなんの道具もなく、誰もなにも教えてくれなければ画に描いた餅です。そこで、大人たちに子どもの教育を受ける権利を保障するよう義務を課しています。義務教育が無償というのは、お金がなくても子どもの権利が侵害されないようにするための仕組みです。
ここまで読んだ時点でお気づきの通り、子どもには教育に対する権利があるのみで義務はありません。不登校をしたからといって「義務を果たしていない」などと言うのは間違いです。「義務教育」の義務とは保護者や国、すなわち大人たちが負っている義務のことです。しかし、大人の義務はあくまでも子どもの権利を守るためのものと考えられます(最高裁の判例でも認められています)。つまり、子どもが学校でいじめなどにあって辛い思いをしているなど、学校に通うことがかえって子どもの権利を損なってしまうような場合は、学校に通わせるのが大人の義務とは言えません。文科省令でも不登校は「(子どもを学校に通わせないことについての)正当な事由」と認められています。


このお悩みは、五月雨登校を経て、テコでも学校に行かなくなった時期のものと思われます。まずは、苦行に値するような電話かけ、大変でしたね。お疲れ様でした。さて、答えは「そんな必要はない」です。「出欠の連絡はいたしません」とはっきり伝えれば済んでしまいます。学校側から「それでは困る」と言われたら、自分の現状(重荷である・朝忙しい…etc)を率直に伝え、話し合ったらどうでしょう。双方にとって都合の良い方法(子どもが学校に行きたいと行った日だけ連絡する、電話ではなくメールでのやりとりにしてもらう…etc)がきっと見つかるはずです。
毎日学校に電話しなくなると「学校所属の生徒とその保護者」という重いコートが脱げて、「親と子」という“素”な顔が現れます。少し軽くなった心の瞳で見れば、我が子のかけがえのなさ、いじらしさ、苦悩に気がつくかもしれません。学校という生活の軸を失って、親子ともに心細くなるかもしれません(それは当然のことです)。でも、視点を変えると、我が子とゆっくりじっくり向き合うという人生の宝物のような時間を手に入れたということだと思うのです。辛い学校から解放された子どもと心豊かな楽しい生活を目指すのも素敵なことですね。


本人が行きたがらないということは、今は相談を必要としていないという表れだと思われます。慣れない場所で知らない人と話すことは、大人であってもエネルギーがいることです。ましてや不登校になった子の多くは、傷つき弱りきっている状態がほとんどです。学校に行かないことを、また責められるのではないかと思っているかもしれませんし、自分のことをどう説明すればいいのか分からない……。そう子どもが思えば相談に気が向かないのは当然です。「今はまだ話したくないんだ」という気持ちであることは間違いないと思います。
周りの人は、早く元に戻すのが良いことだと善意から相談に行くようすすめて来るのだと思いますが、焦って行動するとこちらの望みばかりを押し付けるような結果となり、親子間の信頼関係が崩れてしまいかねません。説得して相談に連れ出せば、療養中の人に無理な運動をさせるようなものですから、悪化するのは目に見えています。それは、公共機関であれ専門機関であれ同じことです。今は子どもの気持ちを尊重するのが優先です。気の向かない相談に行かせるよりも、家でゆっくり過ごせる環境を整える方が重要だと思います。どうしても不安を感じるならば、親だけで出向いてみてはどうでしょうか? 相談できる所は公的機関の他に親の会も各地にあります。親の会で同じ経験をした方の話しを聞き、気持ちが楽になったという話はよく聞きます。


いいえ、そんなことはまったくありません。子どもが学校に行かなくなったばかりのころは、親も焦って「なんとか子どもを少しでも学校に行かせれば、行けるようになるのではないか」「このまま学校と一切接触がなくなれば、この子はどうなってしまうのだろう」と不安に思い、なんとか少しでも子どもを学校に行かせたくなる気持ちがあるのだと思います。ですが、学校に行けなくなった時の子どもは、それまでたくさん頑張って無理をして、結果的に心も体もすり減り、一番最後に学校に行けなくなる、という状況にあるかもしれません。
そんな時に、「ちょっとでも、どんなかたちでもいいから学校に行ってほしい」と親が言ったらどうなるでしょうか? すでに満杯なコップに、さらに水を注ぎ、それまで保っていたものが、ほんの一滴で溢れて、子どもをさらに苦しい状況に追い込むことになるかもしれません。「子どもが学校に行かない」というのは、実は親以上に、子どもが一番ショックを受け、傷ついています。そんな中、現状の自分を認められないまま、親の期待通りに足を引きずって少しでも学校に行くことは、傷口を広げることになりはすれど、心と体が回復することにつながるでしょうか?まずは、子どもが学校に行きたくない、行けなくなったら、ゆっくりと休み、これまでにすり減った心と体を回復させることを一番に優先してはいかがでしょうか。
十分に休んだ中で、子どもが本当にやりたいことに出会った時、子どもはみずから自分の道を進むことができます。どうか子どもの心と体、いのちを一番大事にして、これからの子どもの未来ごと、今の子どもを守ってあげてください。


フリースクール等に「行かせる」ことが良いということは絶対にありません。子ども自身に「行きたい」という希望があればそれに応えるのが良いでしょう。ただし、子ども自身にも「学校に行けないなら、せめてフリースクールくらいは……」という焦りやプレッシャーがあり、そのため本心からではなく「行きたい」と言っていることもありますので、親(保護者)としては「無理して行く必要はない」ということを念頭に置きながら子どもに接するよう心がけてください。
法律的にも、子ども自身に学校やフリースクールに通う義務があるわけではありませんし、昼夜逆転を直すため、勉強の遅れを取り戻すため、友だちをつくるため……等々の理由でフリースクールに「行かせよう」と考えているのでしたら、どうぞ、前の質問に戻り、それらのことを「させよう」とするご自身の気持ちをじっくりと見つめてください。子どもをフリースクールに行かせたいというのは、子どもの希望に応えるためなのか、親(保護者)である自分自身の安心のためなのかをよく考えてみてください。
また、いざフリースクールに通うことを決めても(入会しても)、実際には毎日のようには通わないこともよくあることです。そういうときも、無理して毎日通わせるのではなく、子ども自身に合うペースでやっていくことを見守ってください。フリースクールはいつ行っていつ帰るかも自由な場所です。いつ行っていつ帰るのか、今日はフリースクールに行くのか家にいるのか、その他の場所に行くのか。誰かに決められたことに従うのではなく、子ども自身が自分で考え、自分で実行する、そのこと自体も大切な学びのひとつなのです。


教育支援センター(適応指導教室)は学校復帰を目指しているところです。教育委員会の下に作られ、学校に対して不安を感じている子どもを、個別に指導し学校へ戻る手助けをする所です。Aさんは小4から不登校になりました。親の不安からすぐに適応指導教室に入りました。しばらくは週に2~3日のペースで通っていましたが、やがて休み始めました。実は適応指導教室の仲間の何人かは、給食の時間だけ先生に勧められて学校へ行っていたのですが、Aさんにはそれができず、学校に行っている時と同じ辛さを感じたからです。しかし、エネルギーがたまってきた中学校時代には、適応指導教室の仲間と話したり、体験活動したりすることができ、楽しい思い出もできました。
親主導で子どもの気持ちを考えずに教育支援センター(適応指導教室)に入れると、学校につながる場なので、子どもの辛さは続くことがあります。一方で、公の場所なので費用がかからないという利点もあります。また、センターの先生の考えによっては、あまり学校復帰を迫られることなく、子どものペースを尊重してくれるところもあります。マンツーマンで勉強を教えてもらうことを希望している子にとっては、少人数なので学校より丁寧に指導してくれるという良さもあります。親は学校復帰という考えにとらわれずに、子どもの気持ちを最優先に考えて選択することが大切です。


子どもが学校に行けなくなってもう何か月にもなるのに、給食費は毎月、引き落としされている。「払い続けないといけないのかな? まだまだ学校に行けるような感じではないのに……」と思うのは当然のことです。でも、お金のことって言い出しにくいですよね? それに「うちの子は当分、登校しませんよ」って宣言しているみたいで、余計に言いにくい。でも、食べない給食にお金を払うことはないです。「まだいつ登校できるようになるかわからないので、とりあえず止めてもらっていいですか?」と担任に言ってみましょう。あっさりOKになる場合がほとんどです。「もし突然来られても、1人分くらいは何とでもなりますから大丈夫ですよ」と言われて拍子抜けしたりします。実は学校側も「給食どうしますか?」とは聞きにくいみたいなので、こちらから言う方が助かるみたいです。
あと、不登校も何年にもなってくると、「恩恵を被ってないPTA会費もどうなんだろう?」って思いますよね。それに、子どもが不登校でも「役員をやってくれないか?」と言われて困ることがあります。実はPTAへの加入は任意だということをご存知ですか? ですから、もし会費や役員のことを負担に感じるなら、「退会します」というのもありです。実際、そうしている人もたくさんいますし、「まあ年間2000~3000円だから寄付だと思って」と納めている人もいます。役員を依頼されて気が重ければ、「子どもが学校に行ってないので、気持ちの上で負担が大きいです」と一筆書けば、たいていの場合、免除してもらえます。


学校の先生の中には「学校に行けないことは子どもにとってとてもマイナス。ずっと行けないでいると人生取り返しがつかなくなる」という考えの方が結構いらっしゃるようです。親がせっかく親の会などで「とりあえず家でゆっくり休ませる方がいい」「エネルギーがたまってきたらいつからでもやり直せる」「家にいても子どもはちゃんと成長する」ということを学び、子どもの苦しみを理解して見守っているのに、それが学校側から見ると「学校に行かせようとしないなんて、子どものことをちゃんと考えていない親だ」ということになってしまうようです。子どものためにと一生懸命考えて出した結論なのに、そんなふうに思われてしまったら悲しいし、困ってしまいますよね。
こちらの考えを理解してもらえるのが一番ですから、先生方ときちんとお話できる機会を設けてもらって、説明してみるのもひとつだと思います。ただ、それでもなかなか分かってもらえない場合が多いです。理解を得ることにエネルギーを費やして疲れてしまうのもよくないと思います。そういう時には、「自分の考えは間違っていない」ということを親の会などで確認して、自分の気持ちを落ち着けること。そして、先生方には「いろいろな方に話を聞いてみると、今、無理に行かせようとすると返って学校復帰が難しくなるようなので、とりあえず少し休ませて様子を見ます」と言って押し切って構わないと思います。先生と喧嘩をする必要もないですから、「お気持ちはありがたいですが、長い目で見てやってください」とやわらかい言葉で、しかしキッパリと自分の態度を示した方が、先生方も突っ込めなくなるようですよ。


学校の先生が、とにかく子どもに会いたいと言って引かないことがあります。これは虐待等の理由を疑って先生や校長が、子どもの生存確認を行いたいということがあるようです。しかし、子どもにとっては信頼関係がない大人にとても抵抗感があることから、特に先生や校長と会うことを拒絶することがよくあります。虐待を疑われていたとしても、何かしらの事情があって子どもが学校に行かない場合(不登校)は虐待ではありません。親が子どもに会わせないのではなく、会わせることを親は否定しないが、「子どもが会えない状況」にあることを、不登校の経緯を含めて学校の先生に丁寧に説明しましょう。
また、生存確認をするようにと文科省は各学校に通達をするわけですが、この通達では強制ではなくあくまで任意となっています。なかには生存確認が出来ないことで「進級をさせない」「卒業させない」と言われることもあるようですが、そのようなことは理不尽な脅しです。確かに進級卒業は学校長の裁量となっていますが、不登校を理由とした進級卒業の不認定は子どもの利益に反するということで通常は行われません。
またそれでもどうしても「会わせろ」ということが続くようでしたら、「子どもが信頼できる相手を用意してください」とこちらから提案してもいいかもしれません。スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどが代わりに生存確認をすることも考えられます。学校からの無理な提案を突きつけられるだけではなく、こちらからも学校の支援を引き出す提案をして一方的な交渉にならないようにしましょう。


小・中学校でお子さんが学校に行けなくなって、「とりあえずしばらく休ませるしかないな」と親も腹をくくって家で過ごさせるようになっても、学校からは「行事だけでも参加しませんか?」というお誘いがあったりします。校外学習、遠足、運動会、音楽会、修学旅行……etc。先生方は「そういう楽しい行事なら参加しやすいんじゃないか?」と思うようです。親も「楽しいはずの行事にも参加できないなんて、我が子が不憫」と思ってしまいます。でも、普段学校に行ってなくてクラスメートとの交流も途絶えていて、みんながやっている事前準備もできていないのに、いきなり行事にだけ参加することが本人にとって楽しいことでしょうか? 緊張するだろうし、とてもハードルが高い場合が多いです。
それでも、「せっかく誘ってくれているのだから」「ひょっとしたら楽しいかも」と思って、思い切って参加する場合もあります。でも、そのあとものすごく疲れて、さらに学校から足が遠のく場合が多いようです。行事にも参加できない子どもは本当にかわいそうなのでしょうか? 親や先生がそう思っているだけなのでは? 本人は「とにかく今は休ませてくれ」という気持ちの方が強いのではないでしょうか?
毎年クラスで作る文集への参加はどうするか? 卒業アルバム用の写真の撮影や、アルバム購入はどうするか? というような問題も出てきます。登校していないのに文集用に文を書いたり、学校や写真屋さんに写真を撮りに行ったりするのも、子どもにとってはハードルが高いものです。本人に確認して気が進まないようならきっぱり断ってかまいません。「載せてあげたい」というのも周囲の勝手な気持ちだし、卒業アルバムに写真が載らなくても許されないわけではありません。購入も、本人がいらないと言うなら必要ないのです。

医療が必要なの?

お子さんの不安が強くなるといろいろな症状が現れる時が見受けられます。食べない、眠れない、人目を避ける、パニック発作等々。これらは一見すると病的に見えるので、学校や周りから精神科受診を勧められることもあるでしょう。親も焦りから、「病気ならば専門家に診てもらった方がよいのでは?」と考えてしまいます。本人さえも受診すべきか悩むこともあります。学校に行かれない自分をすべての人が否定しているようで、追い詰められ感から自分には生きている価値がない、人には会えないと思ってしまい、心の悲鳴が具体化しているのかも……。
医療が必要な場合もあるかもしれません。が、学校で傷つけられた子にとって、苦しいながらもその日一日をなんとかやり過ごしてみる。家で十分休んで肯定されるまなざしの中で(辛いこともあり、時間もかかるのです が)、ほんの少しずつ「自分はこれでいいのかな?→これでいいか」と自分との対話をしながら落ち着いてくる子もいます。表面的な現象に親が驚いて病院に連れて行くと、必ず診断名がつき、薬が出て、薬を飲むと副作用により別の症状を抑える薬がさらに出ます。抗精神薬は急にやめるとひどい副作用が起こるので、長期間飲み続け、苦しむ子どもも多くいます。無理に病院へ連れていったことで親子の関係が悪くなることもありますので、安易に医療に頼らず同じ経験をした人に話を聞くのもひとつの手です。
どの子にも本能としての“生きる力”が備わっています。自分から精神科に行ったある子どもは、2年間通院したのち、「自分が元気になれたのは精神科の先生でも、薬のおかげでもない。親が理解してくれて普段通りに変わらず接してくれたからだ」と大切なことを教えてくれました。彼らの心の声に気付き苦しさに寄り添いたいものです。


我慢しても、我慢しても分かってもらえないとき、思わずテーブルをドンッ!と叩いたことはありませんか? 大切なのは暴力を振るう方も傷付いているということです。本当は暴力なんかしたくない。でも、どうしようもなくて暴発してしまう。一見、恐いけど、元々はやさしい子だったのではないでしょうか? 親の会でも元から暴力的な子だったという話は一度も聞いたことがありません。むしろずっと「いい子」を続けてきた場合が多いです。真面目なやさしい子が、その真面目さゆえ、やさしさゆえに親の期待に答えて、無理を重ねてしまった。
そんな時、親にその辛さに共感がない無神経な言動があれば、例えばいじめで傷付いているのに「しばらく休んだから行けるよね?」などと言われたら、それはもう暴れて抵抗するしかありません。また「休んでいいよ」と言われていても、親が「ダメな子」という目で見ていたら、それはどこかしら態度に表れます。自分が「ダメ人間」と思われていると感じているとしたら、それがどんなに辛いことか。
暴力には体はよけても、気持ちはしっかり受け止めること。暴力の前に何があったか? 子どもの神経を逆なでするようなやりとりがなかったか? 過去の親子関係はどうだったか? 今の生活で負担がないか? 親が振り返ってみることが一番重要なことと言えます。「自分を理解しようとしている人を殴ろうとは思わない」と、ある当事者が言っていました。


学校に行けなくなった子どもが電車に乗れない、外食できないということはよくあります。これはある子どもの例です。電車の中で吐き気がしてきて、顔が真っ青になる。外食も同様です。母親は焦りました。「こんなことでは社会生活ができなくなる!」と思って練習させようとしました。そうしたらどんどん症状が重くなっていきました。ついに息子は「僕はもう二度と一生電車には乗らない!」と宣言しました。悩んだ母親はあちこちの親の会へ行きました。そうすると、どこの会でも先輩のお母さんがいて、「うちもそうだけど別に~」「それが何か?」みたいな感じで平然としているんです。その様子を見て、母親は「ああ、これはそんなに焦らなくてもいいことなんだ」と思って帰ってきました。
その後、とにかく息子に合わせて、移動は自家用車で、外での食事はおにぎりを車の中で、ということを続けました。いつの間にか、それが当たり前になっていました。そして何年か過ぎて忘れた頃にひょっこり乗っていたんです、電車に。そして友達と遊んだ流れで、外食もしていました。何だかウソのようです。
一番大事なのは、とにかく症状を問題視しないこと、本人の状態に合わせる、それを誠実に淡々と続ける。それに尽きると思います。医療が必要な場合もあるでしょうが、その子の場合は医療なしで落ち着いていきました。医療の前に、今の生活で子どもが追いつめられる要素はないか? 振返ってみることが重要と言えます。どうしても深刻で医療に関わるとしても、一番重要なのは家族の理解なのです。

将来はどうなるの?

よく「学校など集団生活で我慢を覚えないと、社会に出たらもっと厳しいのだからやっていけない」と心配する声があります。しかし、その場にいることが苦しいと感じる所で日々過ごすことは、その子にとって大きなストレスとなり、もし、子どもがいじめを受けている場合は人間不信を生むことさえあります。そして、非行やいじめなど他人を傷つける問題行動は、している側にも自身が大切にされていないという背景があることも多いです。画一的な学校のやり方が子どもによっては合わないこともあります。
社会や周りの人に信頼感を持ち、自分も周りの人も大事に出来る人間に育つためには、その子の存在、命が大切にされていると感じられる環境が必要です。基本的な社会のルールは、家族や身近な大人が話したり手本になっていればよいと思います。子どもは見ています。不登校を経験した多くの若者が、優しい思いやりのある大人に成長しています。協調性や社会性は家庭でも充分育ちます。その子の命が尊重され愛されていると実感すること、安心できる居場所があるということが、子どもの健やかな成長の基本なのではないでしょうか。


現在、小・中学校に学籍があるのなら卒業はできます。正確にいうと、進級・卒業の判断は在籍校の校長に委ねられているのですが、義務教育の段階では同じ年齢の子どもと同じタイミングで進級・卒業をさせるのが子どもにとって良いという考え方が一般的になっているため、一日も学校に通っていなくても進級・卒業させることが通例になっています。
進級や卒業をせず、もう一年同じ学年の課程を履修することを「原級留置」といいます。「いったん進級・卒業してしまうと学校で勉強をする機会が失われてしまう、その機会が失われてしまったら、進級・進学した先でも困ることになるのではないか」という理由から、実際に学校に通っていない子に対しては原級留置の制度を積極的に使うべきという考え方をする人もいます。しかし、よほど本人がそれを望み、同時に年齢のちがう人が学級にいても安心して学べる環境が確保されていることが確認できない限り、原級留置はすべきではないでしょうし、実際にほとんどの子どもが原級留置せずに中学校を卒業しています。また、2015年7月には、文科省から「いったん中学校を卒業した者でも、本人が望むのであれば夜間中学校に再入学することを認めるべき」との通知が出されています。そういう意味では、いったん中学を卒業した後でも学び直すチャンスはあると言える時代が来ているということも、心にとどめておいてください。
なお、高校以上の段階では、出席日数や単位の不足によって原級留置をすることも珍しくはありません。もし、転校して別の学校でやり直したいと考えている時は、いったん退学をしてから別の学校に入り直すのではなく、前の学校に籍を置いている状態から次の学校に転校する方が、単位の認定など便宜を図ってもらいやすいということもあるようです


結論を言えば、不登校をしても高校や大学に行く事は十分に可能です。高校では中学校までとは違い、定時制や通信制の学校に行くという選択もあるため、不登校の子どもが行きやすい環境が整っています。また、大学では高校までの学校生活とは大きく環境が変わり、学校であるという緊張をすることもなく通えるようになったり、高校同様に通信制にしたりすることも出来ます。また、高校を卒業していなくても、高校卒業程度認定試験(高認)に合格すれば大学や専門学校を受験する資格を得ることができます。その試験もそれほど難しいものではありません。定時制や通信制という言葉に抵抗を感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、社会に出てしまえば、たとえ通信制だろうと高卒や大卒という肩書きは同じです。これらは一例ですが、不登校を経験した後も様々な形で進学の機会や方法があり、実際にそういった進路をとっている人も数多くいます。
しかし、まず考えていただきたいのは、その時に学校に行くことが本当に子どものためになるのかということです。大人になってから改めて学校に通うという人は、一般社会にも数多くいます。何より、子どもにとって不登校の期間というのは、充電期間でもあり広い意味での学習期間でもあります。無理に学校に行くことを考えるよりも、視野を広げて、今、不登校であるということに価値を見出してみてはいかがでしょうか。不登校の今だからこそ経験出来ていることもあることでしょう。他人とは違う経験をしたことは、社会に出たとき、大きな力となります。そういう人がしっかりとした充電期間を経て、自立した社会人となるのはそう難しいことではないでしょう。また、必ず高校や大学を卒業しないと社会人になれないというわけでもありません。小中学校にほとんど通わず、その後も進学することもなく、今は働いて自活している方もたくさんいるし、そうした道も色々あります。

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