不登校親の手記

こちらのページでは、不登校の子どもを持つ保護者の手記を掲載しています。(不定期更新)

手記一覧

「白いワイシャツからの始まり」(山崎節子)
部活がきっかけで学校がつらくなる
「ワイシャツ出てないよ~!洗濯するから出して~」
息子が学校を休んだことに初めて気づいた日、制服を着なかったその日、私も夫もただただ学校に行かなかったことを叱責し、息子のSOSに気付けませんでした。中学3年生の夏休み前のことです。両親は共働き、子どもは姉弟の4人家族です。息子は中学では剣道部に所属し、副主将を務めていました。私には楽しんで部活をしているように見えていましたが、部活内での嫌がらせから、しだいに部活も学校も避けるようになっていきました。泣きながら「部活には行けない」と訴えていた時も息子の心に寄り添えず、「行かないなら学校に電話しなさい」と厳しく言ってしまっていました。
息子の気持ちに気づいてあげられなかった
夏休みが終わり、体育祭、音楽祭とこなし、日常に戻ったと思っていました。でも、いよいよ受験だという11月の中旬、息子の体は動かなくなりました。それでも私は「受験なのに学校に行かないなんて……何とか行かせないと」という思いで焦っていました。部活以外のクラスでの嫌がらせや、先生からの理不尽な叱責などもあり、不登校が始まりました。そして、担任の先生から千葉市にある「子どもと親のサポートセンター」にカウンセリングに行くことを勧められ、親だけで何度か通いました。何よりもこの時期に、親である私が息子の気持ちに気づけず、「安心して大丈夫だよ」と言ってあげられなかったこと、「家にいていいよ」と言ってあげられなかったこと、「何があっても味方だから」と言ってあげられなかったことに後悔してもしきれない思いでいっぱいです。
卒業まで保健室登校を続けさせる
中学3年の受験を控えて、親としては「高校に行って新しいことに出会ってほしい。嫌なことは忘れて楽しく過ごせることができたらいいな」と思っていました。息子の学校に行きたくない気持ちを理解せず、「行かせなければ」とだけ思っていたのです。担任の先生に保健室登校をお願いして、通常の登校時間よりも1時間遅らせて友達とは顔を合わせないようにし、私が後ろからついて行き、学校の裏門から入ると職員室に電話して先生に入れてもらい、お昼まで保健室で過ごして帰宅するということを卒業まで続けました。このとき、親としては「何とか学校には行けている」という安心感があり、高校も単願で私立に合格できたので、これでいいと思っていましたが、息子はどんなに辛かったか、嫌な気持ちだったか……。「行きたくないのにどうして?」という思いだったのだろうと思います。
2人だけの卒業式
卒業式も息子は出ないだろうと思いましたが、両親だけでも参加して卒業を見届けようと学校に出かけました。担任の先生からは「本人が参加できそうであれば、体育館の入り口からでも一緒に入場しますから」と言われていましたが、息子は卒業式が始まってから、いつも過ごしていたように保健室に行き、卒業式の途中から体育館後方2階で先生と参加しました。本人としてのけじめだったのかと思います。卒業式の途中で先生が「後ろで参加してますよ」と教えてくれて、驚いたと同時に「頑張ったね。だけどつらいよね」という思いが消えることはありませんでした。卒業証書はその日の午後、校長室で学年の先生方が参列して下さり、一度も登校したことがないという女子と2人だけの卒業式が行われました。学年の先生方がそれぞれ「保健室で勉強して頑張っていたから、高校行っても大丈夫だよ」と言って下さいました。私も明るい未来に期待をし、心機一転大丈夫だろうと思いました。
高校入学、また行けなくなる
しかし、高校に入学した息子は、中学時代のトラウマから学校になじむことができなかったようです。部活が必須だったので仕方なく合唱部に入部し、運動部とは違った感覚を感じたとは思うのですが、ここでも自己否定感が増してしまったのか、「休憩時間等の過ごし方がわからない。自分に話しかけてくる人がいない」と悩んでいました。文化祭やコンクールがあって1学期はなんとか参加できていましたが、夏休み以降は学校にも行けませんでした。思い返せばこの数ヵ月間も、学校に足が向かない息子を車で駅や学校まで送って、学校へ向かわせ続けました。父親が送ることも多く、私には「車から降りられない!助けて!」とメールが来ることもありました。でも、「ここを乗り切って少しずつでも楽しいことを積み上げて、高校生活を楽しく過ごしてほしい……」。そればかり思って、息子がどうしたいのかわからないままでした。
親だけが安心していた
この頃の息子は「どうせ僕なんか誰も味方はいない。敵ばかりだ!」と思っていたそうです。親子の信頼関係も崩壊してしまいました。それでもまだ私は「高校は卒業させなければ」という思いがなくならず、高校の欠席日数が留年ギリギリの時期に、息子の意志も確認せず、ひとりで千葉市内の通信制の高校を見学して回りました。「ここなら!」と思った学校を息子と見学に行き、「まあいいかな」という言葉を聞き、転校の手続きを取りました。息子はこんな転校は望んでなかったと思います。ですが、私はまたここで「通信制なら大丈夫」と、自分だけが安心するという失敗をしてしまいます。
息子の心が離れていった
高校生なので、元の学校が退学になってしまったら息子の居場所はなくなってしまう。通信制は高校生だから居場所はなくならない。行ける時だけ行っていい学校があるなら、息子の居場所はこの通信制高校だと信じました。しかし、息子には苦痛がさらに重なっただけだったのです。この通信高校3年間は、時々課題を提出しに行く程度でした。それでも私たち両親は何となく安心し、一方、息子は苦痛な日々から解放されることはなく、自己肯定感がなくなるだけだったのではないかと思います。テレビやインターネットを見たり、ゲームをしたり、時々散歩に行ったりの日々を過ごしていたようです。私もずっとどうしていいのかわからず、不登校関係の講演会やカウンセリングに行ったりして、息子にとっていい方法がないかと探し続けていました。時々仕事を休んでドライブに連れて行ったり、ゲーム音楽のコンサートに行ったり、息子が楽しい思えることに出会えればいいと思っての行動でしたが、息子にとってはただ連れて行かれるだけのことだったようです。一日中外出しないとストレスがたまるのではと思い、仕事から帰ってからもドライブに行ったり、食事に出たりとそんなことを続けていましたが、息子の心は離れる一方で、両親を避け続けるようになり、話もしなくなりました。数ヵ月ほど、筆談で過ごしたこともあります。家出をして一晩帰って来なかった時は、持てるだけの現金を持って電車に乗り、どこかへ行ってしまいたいと思ったそうです。
心療内科へ
一晩、田んぼ道を歩き続けたそうです。千葉から祖母宅の茨城に電車と徒歩で向かい、コンビニで休憩しながら警察に助けを求めたそうです。奇跡的に祖母宅の近くの警察にたどり着いたので、祖母に連絡が取れて助かりました。味方のいない家には帰りたくなかったようです。家が安心できるような居場所にしてあげられなかったことは一番の後悔です。ですが、どうしたらいいのかわかりませんでした。家には戻りましたが、息子の心は壊れていき、心療内科にかかるようになります。ストレスとイライラとでリビングの配置をぐちゃぐちゃにしたり、壁が壊れたりしたこともありました。両親が働いていれば必然的に子どもは自立していく、時間が解決してくれると思っていました。味方になって信じるという部分が足りなかったのです。心療内科とカウンセリングに通うようになり、先生やカウンセラーさんとの自由な会話のおかげか、息子の気持ちも落ち着いてきたように思います。この時期に私は自身の体調のこともあり、仕事を辞めました。
ネモネットに出会う
それから息子とは会話もだいぶ増えました。中学時代のつらかったことや、嫌な思いをしたことを話してくれました。誰かに話をして心が解放されるのであれば、少しでも息子の役に立つことができるのであればうれしいと思いました。15歳で不登校になり、18歳を迎えようとするこのころ、ネモネットに出会います。心療内科から社会に出ることや、人と関わるような診療をしている病院の紹介をされたりしている時に、不登校のことをインターネットで調べていてネモネットのホームページに出会いました。電話相談をしようか、体験をお願いしようかと迷いましたが、息子に見せたところ、「体験だけなら行ってみてもいい」とのことだったので、見学をお願いして体験させていただくことにしました。見学の日、息子は「久しぶりの社会だ」と言っていました。
居場所の力で自信を取り戻す
体験期間中は、話すこともないし、どうしていいのかわからないという感じでしたが、スタッフさんがお茶を出してくれたり、話しかけてくれたり、何よりも印象深いのは体験から帰ってきた時に「ゆっくりでいいんだって!焦らなくていいんだって!」と言っていたことです。本人だけでなく私もこの言葉に救われた思いでした。3回の体験が終わる時に、本人から「入会してもいいよ」と言われて、ネモネットにお世話になることになりました。小学生から年上の友だちまで幅広く関われて、行っても行かなくてもいい所、ゲームやアニメの話が十分にできる所、「いるだけでもいいんだよ」と言ってくれる所なので、楽しく関わることができたようです。「スタッフさんが作ってくれるお昼ご飯はおいしい」と、今でも楽しみなようです。息子に笑顔が戻ってきました。「ネモネットがなかったら、僕はどうなっていたかわからない」と言っています。3年間、自宅でひとりで過ごしていた息子にとって、年下の子から頼られたり、同世代とおしゃべりしたり、スタッフさんに相談したり、お昼ご飯の準備を手伝ったりできて、居場所の大切さと頼られることの嬉しさなどから自信を取り戻したのではないかと思っています。本人は「ネモには感謝してるんだ」と言っています。
今だから思うことは……
不登校になるだいぶ前からつらい気持ちがあって、
不登校という行動で周囲がその状況に気付き、
本人のSOSをなかなか受け入れられない両親がいて、
どうしようもない状況が続き、
学校というしがらみがあり、
家族が絶対的に本人の力を信用し、味方になることを自然に感じることができるようになり、
本人も生き抜く力を持っていることを感じることができ、
居場所の力、信じる力,共感することの大切さを知り、
否定することなく、ありのままを受け入れ、
時間はかかったけれど、これからも悩むこともあるかもしれないけれど、
そんなことを受け入れた今であるからこそ、お互い向き合えている気がします。
これからのこと
以前は怒って「学校どうするんだ!」と言っていた父親も私も、今は息子の力を信じています。本人がやりたいと思うことを応援したいと思っています。息子もイライラしたり落ち込んだりすることもあるけれど、立ち直りも早くなったし、「もう大丈夫だ」と言っています。本人がそう思えるようになるまで7年かかっていました。21才になった今、ネモに通いながら、「次は仕事をどうしようかな。前に進みたいな」と考えているようです。ネモネットに出会って前向きになり、元気になりました。命より大事なものはありません。焦らずゆっくり、自分に合ったものに出会えればいいと思っています。

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